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水戸地方裁判所 平成6年(ワ)56号 判決 1995年6月21日

原告

柴勝次

被告

高畠国胤

主文

一  被告は、原告に対し、金一三三万二五六七円及び内金一二一万二五六七円に対する平成五年九月七日から、内金一二万円に対する平成七年六月二一日から、それぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三九八万三三五〇円及び内金三五八万三三五〇円に対する平成五年九月七日から、内金四〇万円に対する平成七年六月二一日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、追突交通事故による損害賠償請求事件であり、原告は、車両修理代のほか、外傷性頸椎捻挫等の受傷を主張して、請求記載の損害額の賠償と遅延損害金(弁護士費用分については弁済期である本件事故の日の後である本判決言渡日以降)の支払を求めたのに対して、被告が右受傷自体を争つた事案である。

一  (争いのない事実)

1  (本件交通事故の概要)

(一) 日時 平成五年九月七日午後一時五〇分ころ

(二) 場所 水戸市水府町九八八番地先路上(水府橋上)

(三) 事故態様 被告運転の貨物乗用車が、原告運転の普通乗用車に追突

2  (責任原因)

被告は、前方不注視の過失により本件事故を惹起したから、民法七〇九条により、原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

3  (原告車両修理代金)

原告の車両の本件事故による損傷の修理代は一〇万〇一五七円である。

二  (争点)

本件の中心的争点は、原告が本件事故によつて受傷したか、受傷した場合はその損害額がいくらかである。

1  (原告の主張)

(一) 原告は、本件事故により、外傷性頸椎捻挫、胸・腰椎筋挫傷の傷害を負い、次のとおり柳橋整形外科で治療を受けた。

(1) 平成五年九月七日から同月一五日まで通院(実日数七日)

(2) 同月一六日から同年一二月三日まで入院

(3) 同月六日から同月一七日まで通院(実日数六日)

(二) 原告は、右受傷により、次の損害を被つた。

(1) 治療費 二一万七六一〇円

(2) 入院雑費 一一万八五〇〇円

一日一五〇〇円の割合による七九日分

(3) 休業損害 一九四万七〇八三円

賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者学歴計・四五歳から四九歳の平均賃金(年額)七〇〇万九五〇〇円に基づき、三か月一〇日間分

(4) 慰藉料 一二〇万〇〇〇〇円

(5) 弁護士費用 四〇万〇〇〇〇円

2  (被告の主張)

原告は、本件事故によつて受傷していない。

(一) 原告の症状は、初診時、頸部に軽度の筋硬直、左右側屈・後屈時の頸部痛、胸椎棘突起叩打痛、傍脊椎筋の圧痛等であるが、これらは、自覚症状にすぎない。

(二) 初診時の神経学的所見として、<1>両側膝蓋鍵・アキレス鍵反射低下、<2>右触覚低下が認められるものの、<1>は本件事故によるものではなく、<2>も事故との因果関係がなく、感覚についての訴えには一貫性がなく、不定愁訴と思われるものであつて、他に他覚的所見はない。

(三) X線所見上、頸椎、胸椎、腰椎にわたつて、骨折、脱臼の異常は存せず、その他有意の異常所見も存しない。

(四) したがつて、原告症状を裏付けるものは、前記自覚症状のみである。

(五) 他方、外傷性頸椎捻挫、胸・腰痛筋挫傷の受傷機転も存在しない。

本件の衝突速度程度では、ヘツドレストレイントが装着されている以上頭頸部の後傾による頸椎の過伸展あるいは引き続く過屈曲による、いわゆる鞭打ち損傷は生じない。

(六) 双方の車両の損傷の程度からしても、原告のみに七九日間もの入院を要する傷害が発生するとは考えられない。

(七) 原告も事故直後の届出を「物損事故」でなすことに同意している。

(八) 原告の入院前の経過に疑問がある。

(1) 被告の付保険会社に対して入院を認めさせようとし、それが認められないとみるや、担当社員に不穏当な発言までなしている。

(2) 原告は、入院は保険会社が認めないとできないとしているが、入院しなければならないほどの症状があれば、早期に入院していたはずであり、現にその後入院している。

(3) 原告は、保険会社に対して、新車との買換え差額を請求し、それが拒絶されるや、入院を認めるよう不穏当な交渉をし、それも認められないとみるや、あえて長期の入院をしたものと考えざるを得ない。

(九) なお、原告は、事故により働けず入院が必要だとしながら、一方では保険会社に代車の提供を要求し、その提供を受けるや約束の期限を過ぎて、返還催促や被告訴訟代理人弁護士からの内容証明郵便による返還請求に対しても直ちに返還をせず、二五日間も代車の返還をしなかつた。

第三争点に対する判断

一  本件交通事故により原告に生じた損害につき、被告に損害賠償責任があること、原告車両の本件事故による損傷の修理代が一〇万〇一五七円であることは当事者間に争いがない。

二  原告の受傷の有無について判断する。

1  原告は本件事故による受傷を主張し、被告はこれを争うところ、甲第二号証、乙第三号証、原告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故当日である平成五年九月七日の夜、水戸市城東五丁目にある柳橋整形外科を受診したこと、現実に原告を診断しその治療を担当した整形外科の医師は、原告につき「頸椎捻挫、胸・腰椎筋挫傷」との診断をし、同日から同月一一日の間、同月一三日、同月一四日の両日、通院により原告に対する治療行為を行い、同月一六日、原告を入院させたことが認められる。

右のように現実に原告を診断し、その治療を担当した整形外科の医師が右診断をし、治療行為を行つているのであるから、一応、右診察当時、原告には傷害があつたものと推認され、特段の事情がない限り、原告には、診察当時受傷があつたと推認するのが相当であり、右の一応の推認を覆すためには、原告による虚偽の申告等により医師の判断に誤りが生じたか、あるいは、右医師の判断に独自の誤りがあるなどの具体的な合理的疑いを生じさせるだけの間接的事情が認められることが必要であると解される。

そこで、右の事情の有無について検討する。

(一) 乙第一七号証は、追突事故等によるいわゆる「鞭打ち損傷」によつて起こる傷病分類につき、「頸椎捻挫型」、「バレー・ルー症候群型」、「神経根症型」、「脊髄症型」に分類して説明するのが一般的であり、本件で、原告につき診断されている「頸椎捻挫」については、関節包と靱帯の強度を上回る外力が作用して関節が無理に動かされたときに関節包や靱帯に断裂が生した場合、あるいは関節包、靱帯、頸部の筋肉に損傷を受けた場合であると説明する一方、その診断と症状につき、診断は「症状」に基づいて行われ、特殊な検査は必要でないとし、診断のポイントは、<1>強い自律神経(交感神経)症状がないこと、<2>はっきりした神経根症状を持たないこと、<3>脊髄障害による症状がないことを上げ、つまり、バレー・ルー症候群、神経根症、脊髄症でないものを「頸椎捻挫」と呼ぶとし、症状の主体は、頭痛・頸部痛・頸部運動制限の三つを中心とし、他に、「眼が霞む」・「耳が詰まつたような感じがする」・「吐き気がある」・「手が痺れる」・「足が痺れる」など、バレー・ルー症候群、神経根症、脊髄症などを思わせる軽い症状が合併することが多いとしており、なお、同書には、他覚的神経学的所見、X線所見が同診断に必須であるとの記載はなく、かえつて、これが不要であるように記載されている。

本件についてこれをみるに、乙第三号証によると、初診時、原告は、背部痛、頸部痛、気分が悪いと訴え、頸椎両側側屈・後屈による痛み、頸部の軽度の硬直、脊柱運動前屈痛、胸椎棘突起圧痛・叩打痛、傍脊椎筋の圧痛等があり、X線所見上も生理的前湾が消失しており、「頸椎捻挫」との診断と一応合致する症状があつたことが認められる。

(二) これに対し、被告は、まず、原告の症状は、自覚症状にすぎず、他覚的所見としては、<1>「両側膝蓋鍵・アキレス腱反射低下」、<2>「右触覚低下」が認められるものの、<1>は本件事故によるものではなく、<2>も事故との因果関係がなく、他に他覚的所見がないと主張する。

乙第一三号証(医学的意見書)は、本件においては、明らかに事故によると考えられる他覚的神経学的所見、X線所見がないと判断しているものであるが、<1>「両側膝蓋腱・アキレス腱反射低下」については、反射弓のいずれかの部位に障害があることを客観的に示すものとされ、脊髄根症又は多発性末梢神経障害の存在を意味するとしながら、本件事故との関係を「まず無関係」と判断している。その論理をみると、結局、「本例程度の追突によるものとは思えない」というものであつて、本件事故の態様・程度についての判定が重要な前提となつているものと解される。すなわち、一方、「多発性末梢神経障害は外傷によつては生じ得ない」とし、他方、「脊髄根症」については、まず、「X線所見により第五腰椎第一仙椎間のごく軽度の椎体間距離の狭小化が疑われ、この部位での椎間板ヘルニアがあれば、これによりアキレス腱反射低下は説明可能だが、これのみで膝蓋腱反射低下は示さない」とし、「胸腰仙椎全体には軽度の椎体の変形があり、これによる広範な髄節にわたる腱反射低下の可能性は考えられるが、その変形は経年性変化である変形性脊椎症と同様で、しかも、その範囲が広い点から、本例程度の追突によるものとは思えない」というのである。「椎間板ヘルニア」を仮定して、「アキレス腱反射低下は説明可能だが、これのみで膝蓋腱反射低下は示さない」とする点は、原告に認められた「膝蓋腱反射低下」の原因が、右指摘のX線所見からは不明であるとしているにすぎない。また、「胸腰仙椎全体の軽度の椎体の変形」が広範な髄節にわたる腱反射低下の原因となつている可能性を想定しつつ、その変形は経年性変化である変形性脊椎症と同様であるとする点は、原因が経年性変化かもしれないとしているにすぎず、本件事故による受傷とその因果関係を直接否定する根拠とはならない。さらに、「反射低下の範囲が広い」という点は、文意からすると、「本例程度の追突事故によるものとは思えない」というのであつて、結局、事故の程度が軽度であるから、この所見との結び付きを積極的には肯定しがたいとしているものと解される。

<2> 「右触覚低下」の点については、「表在感覚の右半身全体の低下」と解釈すると仮定して、「上部頸髄左側の脊髄症又は左側の脳挫傷」を考えなければならないとし、X線所見上、右各症は認められず、頭部に直接外傷を受けていないこと、追突の事故態様から考えて、「脊髄症」も「脳挫傷」も否定されるとしている。

以上のとおり、乙第一三号証の意見は、「脊髄根症」、「多発性末梢神経障害」、「脊髄症」、「脳挫傷」を否定する意見であり、「頸椎捻挫」を否定する意見とはいえず、また、本件においては、明らかに事故によると考えられる他覚的神経学的所見、X線所見がないと判断しているにすぎない。

(三) なお、被告は、原告の感覚についての訴えには一貫性がなく、不定愁訴と思われると主張するが、診療段階での原告の訴えにとくに変遷があつたことを窺わせる証拠はない。

(四) 被告が、原告の症状は自覚症状にすぎないと主張する点は、単に原告が医師にそのように訴えたにすぎないということのようであるが、前記の原告の初診時の症状・所見すべてが原告の訴えのみによるものということはできない。とくに頸部の軽度の筋硬直が認められており、X線所見上も生理的前湾が消失していたことも認められていることは前記のとおりである。

(五) 被告は、X線所見上、頸椎、胸椎、腰椎にわたつて、骨折、脱臼の異常は存しないと主張するが、骨折、脱臼に至らないものを「頸椎捻挫」とすることは乙第一七号証によつて明らかであるから、骨折、脱臼がないことは「頸椎捻挫」を否定する根拠とはならない。被告は、その他有意の異常所見も存しないと主張するが、異常所見というのが相当かどうかはともかくとして、X線所見上の生理的前湾の消失は、「頸椎捻挫」の徴表のひとつであつて、少なくとも正常所見でないことは乙第一七号証によつても明らかである。

(六) 次に、本件事故の態様・程度について検討する。

(1) 甲第四号証、乙第二、第四号証、第五号証の一ないし一〇、第六号証、第七号証の一ないし三、第八号証の一ないし三、第九ないし第一一号証、原被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

本件事故は、平成五年九月七日午後一時五〇分ころ、水戸市水府町九八八番地先県道市毛水戸線(車道幅員約六メートル・片側約三メートル)で、被告が貨物乗用車(ニツサン・ADバン5年式)を運転中下方を見ていて前方注視を怠つたために、停止していた原告運転の普通乗用車(ニツサン・サニー一五〇〇cc5年式)に追突したというものである。原告車両は、オートマチツク車であり、原告は、衝突時、水府橋袂の信号に従いフツトブレーキを踏んで停止していたが、ブレーキの踏み具合は不明であり、サイドブレーキは引いておらず、被告車両が追突してくるのを認識しないまま衝突された。事故当時、直線道路である本件現場はとくに渋滞していたわけではなく、被告は、原告車両を認識することなく追突したものであり、気が付いたら衝突していたという態様で、制動措置をしないまま衝突している。本件事故から一か月近く経つた後である平成五年一〇月四日に実況見分が実施され、その際の被告の指示説明によると、被告がわき見をしてから原告車に衝突するまでの距離は二六メートルであり、また、原被告の指示説明によると、本件追突によつて車両が動いた距離は一・六メートルである。両車の損傷状況をみるに、原告車両については、本件事故の翌日である平成五年九月八日に日産サニー茨城販売株式会社千波営業所内で撮影された写真(乙第五号証の一ないし一一)によると、リアバンパーの後部右側に凹損が、また、左側前方に浮き上がりを視認し得るが、他に写真上確認できる損傷はない。そして、交換された部品は、リアーバンパー、バンパーレインフオース、トランクリツドロツク、エンブレム等であつた。被告車両については、本件事故の翌々日である平成五年九月九日に被告方前で撮影された写真(乙第七号証の一ないし三)によると、フロントバンパーの前部左側に凹損を視認し得るが、他に写真上確認できる損傷はない。そして、交換すべき部品は、バンパー、バンパーインナレインフオース、ヘツドランプフイニツシヤー、ヘツドランプロワフイニツシヤーとされたが、被告車両の修理は、現実には、フロントバンパー本体の調整で済ませた。

なお、被告の付保険会社の把握したところ(乙第一一号証)では、衝突箇所は、バンパー・トランクとされている。

以上の事実が認められる。

なお、原告本人は、信号停車した後、一五秒か二〇秒ほど経つてから追突されたと供述しており、被告車両が原告車両の直後を追従していたのではないことが窺われる。また、被告本人は、セカンドギアーでアクセルに足を乗せて走行中だつたような気がする、事故直前の速度は時速一五ないし二〇キロメートル程度だつたと思う、衝突時、前方に身体が動いて、ハンドルに胸又は腹が触れたかもしれない旨供述している。

(2) ところで、工学鑑定書と題する意見書(乙第一二号証)は、被告車両のバンパーは、ポリプロピレン樹脂製バンパーであり、有効衝突速度が時速四キロメートルまでの衝突であれば、バンパーのみで衝撃を吸収してしまう機能を有していると指摘し、これは、合成樹脂製バンパーには、衝突の瞬間には一旦は変形するものの、その後、元の形状に復元する特性があり、衝突による入力が大きくなるに従い、傷、変形、割れ、裂けなどの損傷へと移行していくと説明している。同意見書は、右のことから、本件の被告車両の損傷の程度からして、入力は極めて軽微であつたと推定している。また、原告車両についても、右同様にして極めて軽微な入力であつたと判断している。

そして、両車両のバンパーは、合成樹脂製のコンベンシヨナル、リインホースメントを挿入した方式のもので、同意見書作成者が実車同士での追突実験をした結果によると、このタイプのバンパーの場合、速度変化が時速六・四キロメートルのときバンパーが僅かに変形し、分解してみると、内部の鋼製リインホースメントに一部変形が認められたとされ、他方、対剛体壁実車衝突実験の結果によると、このタイプのバンパーの場合、速度変化が時速五・二キロメートルのときバンパー中央部に明瞭な変形が発生し、内部のリインホースメントには顕著な損傷が及び、バンパー上部のフロントエプロンが僅かに変形していたとされる。

同意見書は、両車両の損傷状況をこれらの実験結果に基づいて考察すると、有効衝突速度は時速五・二キロメートル以上のことはないと判断している。しかし、ここで、同意見書がなにゆえ有効衝突速度が時速五・二キロメートル以上のことはないと判断し得るとしているのかは、同意見書の論理上明確ではない。「有効衝突速度時速五・二キロメートル」という数値が「対剛体壁実車衝突実験の結果」の場合の事例数値であることからすると、右数値を基準に、そこでの損傷状況より本件の損傷状況の方が軽微であることを根拠に、それ以上の速度ではないと判断されているものと解されるが、そうであるとすると、本件が実車同士での追突であるにもかかわらず、実車同士での実験結果によらず、これと性格を異にする「対剛体壁実車衝突実験の結果」に基づく推論をする合理的根拠は不明というほかはない。かくて、同意見書の推論には、まず、この点において疑問がある。

次いで、同意見書は、時速五・二キロメートルという上限を所与のものとして設定した上で、所定の計算式により、被告車両の衝突速度を時速一〇・四キロメートルと算出し、これに基づいて原告車両の速度変化を時速六・八キロメートルと算出している(なお、その算式によると、原告車両の速度変化は、原告車両が停止していた〔原告車両の速度零〕以上、被告車両の衝突速度に単純に比例する。)。

その上で、同意見書は、時速六・八キロメートルの速度変化で生ずる衝撃につき、両車両の接触時間を〇・二秒間と想定した上で平均加速度を算出して九・五m/sec2とし、重力加速度九・八m/sec2に照らして、〇・九七Gと算出し、人体への影響は右平均加速度によるとする説、平均加速度の一・五倍とする説、平均加速度の二倍とする説の三説を紹介した上で、最後の説を採用しても、原告車両に加わつたと推定し得る加速度は一・九三Gが最大値であるとし、さらに、原告車両がブレーキを踏んでいたとの前提のもとでは、加速度は三分の一程度減ずることも実験的に明らかになつているとして、原告車両に加わつた加速度は最大一・二九G程度であると結論付け、これと、通常のFR車の出し得る最大加速度約〇・六Gや、4WD車の出し得る最大加速度約一G、走行中の車両が急ブレーキをかけて停止する場合のマイナスの加速度の最大値約〇・八G等のほか、ラグビーのタツクル(四・二G)、水泳の高飛び込み(六・九G)や加速度をスリルとして楽しむ遊園地のジエツト・コースター(6G)等の加速度に比較し、他方、鞭打ち症の発生機序に照らして鞭打ち症が発生することは考えられないとしている。

しかしながら、まず、同意見書の計算の出発点である「有効衝突速度は時速五・二キロメートル以上のことはない」との判断に疑問があることは前記のとおりである。同意見書は、右を前提とした上で、被告車両の衝突速度を時速一〇・四キロメートル以下とし、これに基づいて原告車両の速度変化を時速六・八キロメートルと算出しているわけであるが、原告車両の速度変化は、被告車両の衝突速度に単純に比例するのであるから、仮に同意見書にいう実車同士の衝突実験の結果による有効衝突速度の数値である時速六・四キロメートルを採用(被告車両の衝突速度は時速一二・八キロメートル)すると、原告車両の速度変化は時速八・三六キロメートルとなり、原告車両に加わつた加速度は、同意見書にいう人体への影響という観点から第三説をとると二・三七Gとなることになり、原告車両のフツトブレーキが利いている状態で衝突したと仮定して三分の一減ずると仮定しても一・五八Gとなることになる。また、被告本人が供述するように被告車両の衝突速度が時速一五ないし二〇キロメートルであつたとすると、同意見書にいう人体への影響という観点からは二・七八ないし三・七一Gとなることになり、フツトブレーキが利いている状態で衝突したと仮定して三分の一減ずると仮定しても一・八五ないし二・四七Gとなることになる。

さらに、同意見書は、時速六・八キロメートルの速度変化で生ずる衝撃につき、両車両の接触時間を〇・二秒間と想定した上で平均加速度を算出しているわけであるが、同意見書にも「車両同士の衝突による作用時間は〇・一秒ないし〇・三秒であることが知られている」と記載されており、乙第一八号証では「自動車の衝突の継続時間(車と車が接触している時間)は、およそ〇・一から〇・二秒である」とされているのであつて、同意見書の採用している〇・二秒という数字が絶対的なものである保証はなく、仮に、〇・一秒という時間を採用すると、加速度は、右にそれぞれ計算した数値の各二倍となることが計数上明らかであつて、この点だけでも、同意見書記載の数値は、一八九m/sec2となり、重力加速度九・八m/sec2に照らして、一・九三Gとなり、これを二倍する説に立つと、三・八六Gとなり、その三分の一が減ぜられたとしても、二・五七Gとなることもまた、計数上明白である。

ところで、同意見書が、本件衝突と対比して提示している諸例のうち、通常のFR車や4WD車の出し得る最大加速度というのは、いわゆる急発進における最大加速度の意味と解されるが、これらや、走行中の車両の急制動時のマイナスの加速度の最大値が日常的なものとは到底考えられず、しかも、本件では、右例より加速度はかなり上回つていたものと解されるのであるから、このような加速度を、予期せず不意に受けた場合に人体が被る影響が、傷害を生ずるほどのものでないと断ずることはできない。その他、同意見書が参考として引くラグビーのタツクル、水泳の高飛び込みなどのスポーツの例は、特別の訓練や特別の体力を前提として可能なものにすぎず、これらが予期しない追突事故における加速度との対比に適さないことはいうまでもない。

さらに、同意見書は、専ら、「鞭打ち症」を前提として、その発生機序の観点から、本件では、ヘツドレストレイントが装着されているから「鞭打ちモーシヨン」は起こらないと判断している。乙第一七号証で説明される「鞭打ち損傷」も、「鞭打ちモーシヨン」を前提とするものであるが、ヘツドレストレイントが装着されている以上、「鞭打ち損傷」の発生機序とされる後方への伸展が制限されるゆえに、「鞭打ちモーシヨン」が起こらないから、「鞭打ちモーシヨン」による「鞭打ち損傷」は起こらないといえるとしても、直ちに、人体に損傷が、およそ起こらないということはできない道理である。乙第一八号証は一方において、低速(時速五キロメートル、時速一〇キロメートル、時速一五キロメートル)での実験結果によると、従来通説的に説明されてきた「鞭打ちモーシヨン」の機序による鞭打ち損傷は発生しないと結論しており、他方において、二二名のボランテイアによる実験の結果、現実に二名に自覚症状が発生したという結果を前提として、それにつき、上体の移動過程で頸部の軟部組織に出血等の損傷が生じた可能性があるとし、軟部組織の挫傷あるいは裂傷が惹起されたと考えられるとしている。右の実験結果は、乙第一七号証でいわれるいわゆる「鞭打ち損傷」中の傷病分類である「頸椎捻挫型」とは異なる傷害が指摘されているとみることもでき、時速五ないし一五キロメートルの速度で衝突した場合には「鞭打ち損傷は発生しない」という結論の意味が、このような低速ではおよそ乗員に傷害を生じないというのであればともかく、同実験では、現に傷害は発生したが、それは従来言われる「鞭打ち損傷」の発生機序とは異なるというにすぎないのであるから、一概にヘツドレストレイント装着車での低速衝突では人体に傷害が発生しないということができないことは当然である。

前記認定の事実によると、なるほど、両車両に残された損傷の程度は必ずしも大きくはないことが認められるが、被告が供述する被告車両の速度と被告が原告車両の存在にまつたく気付かないまま衝突に至つた点からすると、当時の被告車両の走行速度は厳密には不明であるものの、右意見書のような程度のものであつたとは考えにくい。

(3) 被告は、原告のみに七九日間もの入院を要する傷害が発生するとは考えられないと主張するが、追突した被告と、追突された原告とで、受ける衝撃が異なることはあり得ることであり、被告に受傷がない以上、原告にも受傷がないといえないことはいうまでもない。

(七) さらに、事故後の原告の態度について検討する。

(1) 乙第一号証の一、二、第一一号証、原被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

すなわち、本件事故直後、原告は、原告車両から降りると、被告に対して、「鞭打ちになつたかな。」などと述べた。そして、原告と被告は、交通の障害となる橋上から両車を移動し、両車両を事故現場から進行させて停車余地のある場所まで行くと、そこに車を停車させて若干の話をした後、日産サニー茨城販売株式会社千波営業所に両車両を運転して行き、同営業所で、原告車両の修理を依頼するとともに、被告の付保険会社に代車の提供を求め、さらに原告は、医者に行くという話をし、同営業所で四〇分程度費やした後、原被告は、ともに水戸警察署千波派出所に赴き、原告は、「首が少し張る。」とか「今から医者に行く。」と述べたものの、一旦、物損事故として届出をし、前記営業所に戻つてから別れた。この間、原告は、被告に対して、首が張ると言い、かかりつけの医者のところに寄つて診察を受ける旨述べている。

そして、原告は、本件事故当日の午後遅くなつて、柳橋整形外科を受診し、「頸椎捻挫、胸・腰椎筋挫傷」と診断されたが、入院の必要性については、医師からは明確な話はなかつた。前記認定のとおり、原告は、本件事故当日である平成五年九月七日から同月一一日まで連日、また、同月一三日、同月一四日の両日、通院により治療を受け、同月一六日、柳橋整形外科に入院した。原告は、被告の付保険会社と話し合つた上、同保険会社から入院費の支払を受けて入院したいとの意向であつたが、同保険会社がこれを拒否したため、自己負担のある健康保険を利用して入院したものである。

以上の事実が認められる。

(2) 原告本人は、日産サニー茨城販売株式会社千波営業所のみならず、柳橋整形外科でも嘔吐したと供述しているが、柳橋整形外科の診療録(乙第三号証)には、受診時に嘔吐した旨の記載はなく、単に「受傷時嘔吐した」とのみ記載されていることからすると、原告本人の右の供述は、にわかに採用しがたい。

(3) なお、乙第三号証によると、原告が入院中の平成五年一〇月四日に外出した(乙第三号証の体温等の測定結果等を記載する欄の一〇月四日欄に「外出」との記載がある。なお、同月三日と五日の欄は、測定値が記載されている。)ことが認められるが、この日は、実況見分の日であるから、特段異とするに当たらない。かえつて、同年一一月一七日の欄に「歩行を始める」と記載されているところからみて、それまでは歩行していなかつたことが推認される。

もつとも、原告本人は、他にも一回外出したことがあると自認しており、右診療録の記載上からも、原告がとくに重大な症状を呈したことはないことが認められる。また、原告本人は、日産サニー茨城販売株式会社千波営業所で嘔吐したと供述しているが、具体的には胃の苦みが出た程度だというのであり、被告本人は、日産サニー茨城販売株式会社千波営業所では、原告と始終一緒にいたわけではないが、原告から吐いたという話は聞かなかつた旨供述していることに照らすと、その程度は軽かつたものとみられる。さらに、乙第三号証には、「右知覚鈍麻」との記載があり、初診当時、原告が右側につきその症状を訴えていたことが認められるが、本件での本人尋問に際しては、右症状につき、一旦、「左手の甲と足」と答えた後、「右足の指先から甲にかけて」とか、「右の腰から足全体にかけてだるかつたことは覚えているが、あとはよく分からない」と述べるなど供述内容が曖昧であることからすると、受傷当時の症状もさほどのものでなかつたことが窺われる。

(4) 被告は、原告の入院前の態度に疑問があるとし、被告の付保険会社に対して入院を認めさせようとし、それが認められないとみるや、担当社員に不穏当な発言(「事故処理は十分気を付けないと命取りになる。」)をしたと主張し、また、原告の入院が遅れた理由につき、原告が、入院は保険会社が認めないとできないかのような供述をすることをあげて、入院しなければならないほどの症状があれば、早期に入院していたはずであると主張する。しかしながら、当時無職であつた原告が、自己負担のある健康保険でなく、同保険会社からの保険による治療費支払を受けたいと考えて交渉したとしても、そのこと自体から原告の申告する症状が虚偽であつたと断ずることはできない。

(5) 被告は、原告が事故により働けず入院が必要だとしながら、一方では、保険会社に代車の提供を要求し、その提供を受けるや、約束の期限を過ぎて返還催促や被告訴訟代理人弁護士からの内容証明郵便による返還請求に対しても直ちに返還をせず、二五日間も代車の返還をしなかつた旨主張しており、なるほど、前掲各証拠によると、原告が本件事故当日代車の要求をし、その利用目的を「通勤」と述べ、被告の付保険会社からレンタカー会社に連絡がとられて一〇日間の約束で代車が提供されたが、右代車を二五日間にわたつて返還しなかつたことが認められ、そのこと自体は原告の交渉態度に誠実性を欠く面があつたといえるにしても、だからといつて、原告が受傷していなかつたと解するのは困難である。

(八) 以上を総合すると、原告は、本件事故により、頸椎捻挫等の傷害を負い、本件事故当日から平成五年九月一一日の間、同月一三日、同月一四日の両日通院加療を、同月一六日から同年一二月三日まで入院加療を、同月六日から同月一七日まで実日数六日間の通院加療を要したものと認めるのが相当である。

三  そこで、損害について判断する。

1  原告車両の本件事故による損傷の修理代が一〇万〇一五七円であることは、前記のとおりである。

2  甲第一号証の一ないし一一によると、治療費は、合計二一万七六一〇円であると認められる。

3  弁論の全趣旨により、入院雑費は、一日一二〇〇円の割合による七九日分である九万四八〇〇円であると認められる。

4  甲第五、第六号証、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、原告は、平成二年には八丈万有株式会社から年間で五五四万円の賃金を、平成三年には同社から四〇七万五〇〇〇円の賃金の支払を受けていたことが認められるが、他方、原告本人尋問の結果によると、原告は、同社に平成三年八月まで勤務していたものの、同年九月に退職していたこと、その後は失業保険で生活したりしており、就業していなかつたことが認められる。

そうすると、原告が本件事故当時、具体的に就業予定であつたことなど特段の事情の認められない本件にあつては、休業損害は現実の損害として認めることはできない。

5  入通院慰藉料については、前記認定事実に基づき、八〇万円をもつて相当と認める。

6  以上損害合計は、一二一万二五六七円であるところ、本件訴訟の内容、経緯に照らし、被告に賠償請求し得る相当因果関係のある弁護士費用額は一二万円と認める。

四  よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本光一郎)

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